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Create Liberty

by inja369

夢を叶えるための自己改造プログラム③ ~ゴールで自分を定義する~

メンタル

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前回までの記事で、「自我は空であり、縁起によって成り立っている」、すなわち「自分という存在は絶対的なものではなく、何と関係づけるかによって変化する」ことを説明した。

そこで気になるのが、「自分を何と関連付ければよいのか」ということだろう。今回はその疑問に対して「ゴール」という言葉を用いて説明したい。

ゴールとは

「ゴール」とは、「人生の目標」「夢」である。「お金持ちになりたい」「出世して会社の社長になりたい」など、いろんな夢を持っている人がいるだろう。それを、自分という存在と強く関連付けるのである。「自分が何者か」と問うたとき、出身地や職業などよりもまず自分をゴールで説明するくらいの重要度を、ゴールに与えるのである。

このことを説明するために非常に適した漫画がある。少年ジャンプで連載されている「ONE PIECE」だ。主人公・ルフィは出会う様々な敵に対して「俺は海賊王になる男だ!」と言い放つ。「俺はフーシャ村出身だ」とか「ドラゴンの息子だ」なんて言わない。自分を夢で説明しているのだ。

なぜゴールを用いる必要があるのか。それは、ゴールというものは基本的に他者や社会に与えられるものではなく、自分で作るものだからだ。これが、社会的催眠から脱するための重要なカギになる。

学歴や職業、年収などで自分を定義してしまうと、過去や現状、他者や社会に縛られた自己イメージを作ってしまうことになる。自己イメージを変えようと思っているのに、所与の要素で自分を定義してしまったら、自分を変えることはできない。

社会には洗脳ワードが溢れている

社会、特に権力者は、自分の利益に則った行動を他者が行うように圧力をかけたり、教育したりする。例えば学校では、一生懸命勉強して、企業にとって有益な人材になることが素晴らしいことであるというように教える。これによって、企業ひいては国家が利益を得るようになっている。

本当は、勉強というのは自分のために、自分のゴールを達成するためにしなければならない。そうしなければやる気が出ない。しかしそうではなく、学校というのは基本的に国家の利益になる人間を育成するために運営されているから、国家のゴールをさも自分のゴールであるかのように注入するのである。

しかもそれは「善意」という形をとる。「私たち大人はあなたがこれからの世の中で生きていくために必要なことを教えてあげているんだよ」と子どもに言い聞かせるのだ。子どもは素直だから、これにコロッと騙されてしまう。

支配者にとって都合の良い言説は世の中に散りばめられている。だから、世の中に既にある価値観に則った生き方をしていると、自分の不利益になるような生き方を自覚せずにしてしまう危険性がある。

それに対して、「夢」という、自分オリジナルの要素で自分を定義すれば、自由が利くし、良いイメージを作ることができるのだ。

ゴールはとんでもなく高く

ゴールを決めると言っても、なんでもいいわけではない。自我を書き換えるために適したゴールは、「現状では達成できそうもないほどの非常に高いゴール」だ。

例えば、現状が年収400万円だったとする。その場合は、年収1億円などの高い場所に設定するのである。この理由は別の記事で詳しく書くが、簡単に言えば、それほどの飛びぬけたゴールが無いと、自我を書き換えるエネルギーは生まれないのである。

一般的な自己啓発書では、「目標は自分の現状よりも少し上に設定し、少しずつ成功体験を積み重ねるのが大事」とよく書かれているが、これは間違いである。現状の近くばかりを見ていては、社会的催眠の世界の外側は盲点になってしまい、結局は不自由なままなのだ。

「自己評価」を上げる

自分が本当に実現したいゴールを見つけたら、自分のことを「そのゴールを実現できるだけの能力を持った人間なのだ」と定義する。これによって、それまで自信を持つことができなかった人でも、持てるようになる。

そして、その定義を絶対に諦めないことが重要だ。仮にゴールを達成しようとして行動して、上手くいかなかったとしても、失敗したとしても、絶対にその自己評価だけは書き換えない。高い自己評価を戻してしまったら、あなたはまた社会の奴隷に逆戻りだ。

これを実践した人物の一人が、発明家エジソンである。彼は発明品を完成させるまでに幾度もの失敗を重ねてきたが、彼自身はそれを失敗とは思っていない。有名な言葉だが、「私は失敗したのではない。うまくいかない方法をたくさん見つけただけだ」とエジソンは語っている。

この言葉の根本にあるのは、「自分は発明を完成させることができる」という固い信念だ。何千何万もの失敗も、自己評価が高ければ定義が変わるのである。