読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Create Liberty

by inja369

公共事業としてのゴジラ

f:id:inja369:20161004114251j:plain

ケインズ経済学では、政府が道路や建築物を作るなどの公共事業を行うことによって需要を創出し、それによって雇用を作り出して不況を防ぐ方法が説かれている。これによって、極端な不況・恐慌は起こらなくなったとも言われている。経済は、どこかに需要があって、それに対して供給を行い、世の中をお金が循環すれば成立するので、その活動の本質は問われない。人工的に需要を作りだしたり、広告に掻き立てられて消費行動に促されたりして生まれたものであってもそれは需要であることには変わりないのだ。

需要と供給の関係は本質を問わない

しかし、大航海時代から始まるブルーオーシャン探しの歴史は、永遠に続けられるものではない。21世紀の現代ではアフリカは「最後のフロンティア」と呼ばれているが、この言葉が、市場というものが無限に拡大し得るものではないことを示唆しているように思われる。

宇宙に出ていくとか、仮想現実の世界に新しい経済を作るとか、まだまだ新しい市場を作る余地はあるのかもしれない。しかし、そうして「開拓」「拡大」「発展」「進歩」を続けることが、果たして本当に幸福なのだろうか。他人の人生に文句を言う権利は無いと思っているが、僕にはどうしてもそれは本質の伴わない活動のように思えてしまう。大多数の人間が「足るを知る」段階が来るのではないだろうかと考えてしまう。

要すれば、需要さえあれば社会は回るのである。極論を言えば、今まで作り上げた物を一度壊してしまえば、そこにまた需要が生まれるので、また同じものを作り、また壊す。そうしたことを繰り返していても、金は回るので経済は成立するのである。

東日本大震災によって多くの住宅や道路が破壊された結果、建築業界には多くの需要が生まれた。業者が東北に集中し過ぎて、その他の地域では人手不足に陥ったほどである。皮肉な話だが、戦争が需要を生むように、災害も需要を生むのである。

公共事業としてのゴジラ

僕はゴジラを観ると、怪物が文明を蹂躙する様に美を感じるタチである。悪趣味であると思われるかもしれないが、人間の欲が生み出した無機質なコンクリートジャングルなんか、見ていても面白くもなんともない。美しい自然の風景を眺めているほうがよっぽど幸せになれる。少なくとも、都市は壊れていたほうが美しい。

それに、ゴジラは災害の役割を果たせるとも思っている。震災によって需要が生まれたように、ゴジラが都市を破壊して回れば、人は「復興」や「再生」を唱えてもう一度同じようなものを作ろうとするので、そこに需要が生まれる。雇用が生まれ、世の中をカネが回るようになる。人々は「復興」という大義を掲げて、生きがいを見出せたような気持ちになる。ゴジラは公共事業になるのである。

こんなことはただの冗談だが、しかし、今の世の中の仕組みは本質的に言えばそういうことなのではないかと思う。需要と供給を繰り返して、拡大と発展を続けて、希望やより良い未来を追い続ける。完成してしまったらそこで終わりであり、その過程を延々と続けなければならないのだ。その様子を見ていると、虚しさを感じざるをえない。