読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Create Liberty

by inja369

成功者は自分を貫いている。しかし…:与沢翼の動画を見て思ったこと

マネー オピニオン

f:id:inja369:20160930163050j:plain

最近注目している人物がいる。「秒速で億を稼」ぎ、ネオヒルズ族を自称して有名になった与沢翼氏だ。一度事業に失敗し、ほとんど無一文にまでなったが、再び大富豪の座に返り咲き、今はシンガポールやドバイで投資家として活動している。

てっきり僕は、今なにかと話題になる宗教じみたビジネススタイルで荒稼ぎして成功したのだろうと思っていたのだけど、ふと興味本位で与沢氏の動画を視聴してみるとそんなことはなく、しっかり実力で稼いでいたようだった。FXや株の原理についての説明は、非常に理路整然としていた。偏見に踊らされていたのだなと気付いて、少し自分を恥じた。

断っておくと、僕は与沢氏の回しものでもないし、彼のセミナーを紹介することもしない。ただ、氏の語った人生哲学に思うところがあったので、それについてつらつらと書いてみようと思った次第である。

わらしべ長者の法則

氏の哲学が明確に語られているのはこの動画だと思う。

【グローバルトレーダーズスクール】第6話:わらしべ長者(長期投資の本質) - YouTube

氏が一番好きな物語は「わらしべ長者」だと言う。「わらしべ長者」とは、『今昔物語集』に書かれているおとぎ話である。有名な童話だが、一応あらすじを紹介しよう。

昔々、貧乏な男がいた。彼はお金持ちになりたくて、毎日観音様にお願いをしていた。そんなある日、観音様が言った。曰く、「この寺から出て最初に手にしたものを大事に持って旅に出なさい」と。男は勇んで寺を出るが、寺を出るときに転んでしまう。彼が転んだ先に手にしていたのは、一本の藁だった。男は観音様の言葉を信じ、それを持って旅に出る。

男は行く先々で出会う人々に物々交換をせがまれる。藁をミカンに、ミカンを織物に、織物を馬に交換した。男の持っている物は、どんどんと価値の高いものへと変わっていったのである。

男は大きな屋敷に辿り着く。そこの主人は男に「これから故郷に帰りたいので馬を譲ってほしい。自分が留守の間、この屋敷の留守をお願いしたい。もし自分が帰らなかったら、この屋敷を含めて全財産を譲る」と言う。男は承諾し、馬を渡した。

屋敷の主人は結局、何年待っても帰って来なかった。かくして貧乏だった男は、広い屋敷、広い田んぼ、多くのミカンが成る山を手に入れたのだった。こうして男はお金持ちとなり、死ぬまで裕福に暮らしたのだった。

 

わらしべ長者 - Wikipedia

与沢氏は、この童話には商売の本質が語られているという。氏は主に株や不動産の観点から語っているが、なるほどこの原則は様々に応用できると思う。これは僕も賛成するところである。

内向的で学者肌

氏は自分のことを、「内向的で学者肌だ」と言う。少し意外であった。高級車を買い込んだり超高級マンションに住むのだからもっとチャラチャラしているのかと思ったが、そうではないらしい。話し方を聴いていても、確かに内向的そうに思われる。

彼は「仙人のように生きるべき」だと言う。自分は上記のような性格なので、テレビを見たり友達と遊びに行くよりも、勉強していたいらしい。彼は一日16時間も勉強した時期もあったそうだ。真偽はどうあれ、話し方には知性が垣間見える。

また、人間社会はつまらない感情で溢れていて、特に日本人の嫉妬や同調圧力は「キツすぎる」と言う。誰かが成功すれば妬み、おこぼれをせがみ、さもなければ攻撃を始め、人の失敗を見て喜ぶ。本当は自分も成功したいくせに、なぜ成功者の実力を認めないのか。その態度は矛盾しているのではないか、とのこと。

僕はこれに同意する。僕も自分を内向的で学者肌だと思っており、あわよくば世間から距離を置いて仙人のように過ごしたいと思ってきた。僕は絵描きの端くれなので、自分より実力のある人を見れば素直に認め、技術を学ぼうとする謙虚さの重要性を理解しているつもりである。そんな姿勢で生きていると、ときどき日本社会の同調圧力が息苦しく感じられるのだ。

僕は与沢氏のように金持ちではないけど、共感できる部分があったので驚いた。人を偏見の目で見ることはよくないなとも思った。

成功者は自分を貫いている

話は変わるが、僕は最近偉人の人生哲学を学んでいる。経済的な成功者だけではなく、政治指導者や科学者、哲学者、小説家なども含む。最近は小林秀雄を読んでいる。

それらの人々に共通しているように思えるのは、「周りに合わせることはしない」と言っている点だ。人々の同調圧力を批判する人もいる。皆が自分を貫いているのである。当たり前だが、「空気を読むことが大切だ」なんて、誰一人として言っていないのである。

僕には人を叱る資格なんてないけど、もう少し日本の「キツすぎる」同調圧力が和らげばと願っている。そうすれば、割と生きやすい世の中にはなるんじゃないかと思う。

個人主義的になりすぎるのもまた危うい

ここまで与沢氏に賛同する意見を述べてきたが、一方で氏のような考え方が、今の社会の問題点を象徴しているようにも思えた。

成功者は、ややもすれば「勝者の論理」に傾倒してしまい、人の不幸や失敗の原因を「自己責任」で片付けてしまいがちである。確かに自己責任を問える側面もあるかもしれない。しかし、僕がその論理に対して危ういと思うのは、その考えを社会の全員あるいは多数が採用したときに、果たして健全な社会が現れるのだろうかという点である。

派遣労働者は、企業が必要なときに採用し、不要になれば首を切り易い立場である。彼らがその立場に不満を持つならば、「努力」して正社員になるか、それ以外の道を歩むしかない。彼らにとって「社会」とか「他者」は、何の助けにも慰めにもならないのである。果たしてそのような社会が存在する意義があるだろうか。

個人で力強く生きる生き方を採用できるのは、実力がある者だけである。個人がその生き方に則るのは自由だとは思うが、それを社会的正義のように考え、社会のルールとして適用するのは相応しくないのではないかと思う。

社会とは如何にあるべきかを考え、そこから逆算して自分の在り方を考えるべきであろう。「勝者の論理」に対しては嫉妬からではなく、社会的動物としての人間の立場から批判する論理を組み立てたい。そんなふうに思った。