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by inja369

コミュ障を克服する方法:人間関係とは何かを考える

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世の中には外向的な人と内向的な人がいる、ということはよく言われている。そして、内向的な人は人間関係の構築が苦手な傾向にあるというのが定説だ。自分の人間関係が苦手な理由を「内向的だから」と考えて、半ば諦めている人もいるのではないだろうか。

僕もかつては人間関係を作るのが苦手ないわゆるコミュ障だった。本音を言えず、建前で自分を塗り固め、絆を他者と結ぶなど到底できるものではなかったのだ。しかし、今は人付き合いは苦手ではない。どのようにしてコミュ障を克服したのか、僕なりの考えを綴ってみようと思う。

他人になろうとしない

まず重要なのは「他人になろうとしないこと」。これは、自分の性格を偽ったり、変えようとしたりしないことだ。

人間には、感情豊かで活発な人と、物静かで感情をあまり表に出さない人がいるということはご理解いただけると思う。これはその人の根本的な部分を形作るものなので、簡単に変えることはできない。だから、例えば静かな人が活発な人を演じようとしても、出来たとしても一時的なものだし、疲れてしまうだろう。

人と一緒にいると疲弊してしまうといういわゆるコミュ障の人は多くの場合、自分の本当の性格を隠して別の人格を演じようとしている。なぜならば、人の前では常にニコニコしていなければならないとか、何を言われても愛想良くしなければならないとか、人間は心の中まで清らかでいなければならないとか、そういった一種の強迫観念が根本的なところにあるからだ。これは間違った認識なので改めるべきである。

そもそもコミュニケーションとは何か

上記のように自分を偽ってしまう人は、「そもそもコミュニケーションというものがどうあるべきか」ということに関して間違った認識を持っている

コミュニケーションは「互いに摩擦を起こさないように、建前で自分を塗り固めながらお世辞の応酬を繰り返すものだ」などと考えているならば、そのようなことは絶対にやめなければならない。これは相手に対して、自らの心を閉ざすことだ。心を閉ざしてしまっては、人と話す意味など無い。

人には様々な性格・価値観・思想があって当たり前なのである。みんな生まれた時代、場所、環境、遺伝的要素が違うのだから、誰ひとりとして同じ人間はいない。そうしたいろんな特徴を持つ人間同士が、お互いを理解し、認め合い、尊重し合えるような関係を築くこと。これがコミュニケーションのあるべき姿である。

「そうか、理想を求めていいんだ」と気付くことで、自ずと自分自身を認められるようになるだろう。自信とは、自分の優秀さに誇りに持つのとは別に、「自分は赦されている」という感覚からも湧いてくるものだ。だから自信を持っていいのだ。

「自分の考え方を人に押し付けてはいけない」と、子どもの頃に教わったりしたと思う。本来の自分を抑えつけるということは、「人の考え方を押し付けられる人」に自ら進んでなっていることなのだ。これはあるべきコミュニケーションを放棄してしまっていることになる。被害者意識を持ったり、相手に対して卑屈になったりしてはならない。自ら主体的に好ましい人間関係に向かっていこう。誰もがその権利を持っている。

コミュニケーションは共同作業

好ましい人間関係とは何かを自ら考え、主体的に構築していくのと同時に、相手にもそれを求めなければならない。いくら自分が相手を尊重しようとしても、その相手が自分をないがしろにするようでは、信頼関係を構築するのは無理である。そのような場合は、敬意をもって相手に良識を求めるか、それが不可能ならば距離を置くかするしかない。コミュ障の人は、相手の性格に難があっても無理して接しようとする。

菩薩でもない限り、そのような人に対して心の底から好意的に接することはできない。仮にそういった人が自分の上司や取引先で、ムリヤリにでも関係を維持しなければならない場合は、心の中で「しょうがない人だな」とでも考えて、愛想笑いをすれば良い。心の中まで清らかでいる必要は全く無いのだ。

まとめ

人間関係において重要なのは、世の中にはいろんな人がいるのだと理解して、自分と他人の両方を尊重することではないだろうか。健全な人間関係は、コミュニケーションのあるべき姿を了解している人間同士の間にしか成立しない。僕はそう思っている。僕もまだまだ至らない部分は当然あるので模索し続けなければならないが、もし参考になれば幸いである。