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by inja369

経済成長しても国民の幸福度は変わらない? 「相対所得仮説」と「順応仮説」を学ぶ

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経済学の研究では、所得が多い人は幸福である傾向があることがわかっている。アンケートで、自分の主観的な幸福度を1〜10までの数字で示してもらい、所得層別に平均を出すと、所得の多い階層のほうが高い数字になるのである。

しかし、年間所得が700万円以上の層になると、それ以上所得が増えても幸福度は変わらないこともわかっている。つまり、幸せになるために金は必要だが、金があるから幸せになれるというわけではないのだ。

経済成長と人間の幸福度は無関係

このように、経済学は、金と幸福の関係性を明らかにしつつある。 幸福度を、所得の違いではなく、時系列で見るとまた違うことがわかる。

日本人を対象に、主観的幸福度のアンケートを毎年行って、時系列に並べると、ここ40年の幸福度は殆ど変化していないのだ。日本は経済的に豊かになり、40年間で1人あたりの実質GDPは6倍にもなったのにも関わらずである。

World Database of Happiness のリンクを貼っておく。図を見ていただくとわかるが、高度経済成長期である60年代70年代も、「失われた20年」と言われる90年代以降も、ほとんど国民の幸福度は変わらない。 

Nation Report

GDPが上昇したのに国民の幸福度は変わらない。この現象はヨーロッパの先進国でも見られることだ。このようなことになるのはなぜだろうか? 2つの理由で説明できる。

周りとの差で幸福を感じる

1つは「相対所得仮説」だ。

これは、人は自分の豊かさを「私は◯◯円持っている」という絶対評価ではなく、「人よりも◯◯円多く持っている」という相対評価で測っている、という説である。 つまり、年収300万でも、年収100万が当たり前の世界なら幸福だし、年収1000万でも、周りに年収1億の人がゴロゴロいればあまり幸福ではないのである。

また、人は自分と比較する対象を、自分の周りの身近な人たちとする傾向がある。今の日本人は、過去の日本人や途上国の人と比べると経済的に豊かだが、彼らは比較の対象ではないので幸福を感じない、ということなのだ。 これが「相対所得仮説」である。

 

人は幸福に慣れてしまう

もう1つが、「順応仮説」だ。

これは、人は自分の置かれた環境に幸福を感じても、やがてそれに慣れてしまい、別の幸福を追求し始める、というものだ。

分かりやすい例はクーラーだろう。ひと昔前は、自宅にクーラーがあるなんてことは一般的ではなかった。夏場などは、クーラーが効いているオフィスにいるために残業をする人がいたくらいである。

しかし、今ではクーラーがあることは当たり前になってしまった。熱中症対策にクーラーの使用を呼びかけるのも珍しいことではなくなった。クーラーが効いていない部屋に入ると不満を持つようになった。

豊かになっても欲はなくならない

別の例を挙げよう。1978年と1994年に、次のような一覧を見せて、その中から「自分がいま持っているもの」と「欲しいと思っているもの」を挙げてもらうというアンケートが行われた。

自分の家、自分の庭、車、2台目の車、別荘、プール、幸せな結婚、子どもがいないこと、1人目の子ども、2人目の子ども、3人目の子ども、4人目の子ども、平均以上の所得、面白い仕事、社会に貢献できる仕事、自身の大卒学歴、子どもの大卒学歴、海外旅行、カラーテレビ、2台目のカラーテレビ、週休2日、週休3日、すてきな洋服、たくさんのお金

年代別に平均値を出すと、次のような結果が出た。 社会が豊かになり、持っているものは増えたが、それと同時に欲しいものも増えていたのである。

「若年層」

持っていたものの数  1.7コ → 3.1コ

欲しいと思うものの数 4.4コ → 5.6コ

「中年層」

持っていたものの数  2.5コ → 3.2コ

欲しいと思うものの数 4.3コ → 5.4コ

「老年層」

持っていたものの数  3.0コ → 3.2コ

欲しいと思うものの数 4.4コ → 5.0コ

これは、人々が豊かな状態に慣れてしまって、より豊かな状態を求めるようになったことの表れである。

社会が発展しても、人間にはどんどんと欲しいものが出てきて、主観的な幸福度は変わらないようだ。そのことの良し悪しは置いておいても、自分にとっての幸福とは何なのか、一度考えてみる必要があるのかもしれない。