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by inja369

向いてないものは向いてないんだと認める:自分の長所と短所を知る

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僕はかつて自分に「コミュニケーションが苦手な人間」というレッテルを貼っていた。僕はあまり外向的な性格ではなく、クラスの人気者やリーダーシップを発揮するような活発さは持ち合わせていなかった。人見知りもよくした。だけど僕は負けず嫌いなところがあったので、人気者が周りの人を惹きつけて尊敬されている様子を見ると羨望を抱き、「自分もああなるんだ」という野望を抱いていた。

人見知りを克服したけれど

苦手意識を持っていたコミュニケーションを上達させるため、人間関係構築に役立ちそうな自己啓発本を何冊か買った。「雑談力」とか「人を惹き付ける心理術」とか、よくある謳い文句を使った文庫本サイズの本だ。話題の振り方とか、リアクションの取り方とか、いろいろ学んでは試してみた。結果、それなりに人と話せるようになった。人見知りは克服できたし、話題を振る力も付いた。人気者にはなれなかったけど、それなりの結果は出たと思う。

だけど、どこか腑に落ちないものを抱えたままだった。それなりの技術はついたけど、心のどこかで満足できていなかった。それは一体なぜだろうとしばらく考えて、僕とクラスの人気者たちとの間にある、決定的な違いに気付いた。

彼らが醸し出すような、あの心底楽しそうな雰囲気。冗談を飛ばして、馬鹿騒ぎして、人と繋がってる時間を至福に感じられるあの感受性。友情とか絆とか、そういうものの為に心底本気になれる情熱。それが僕には無かった。いや、全く無いわけではないけど、希薄だった。気付いたことは、僕はそこまで人間関係に興味が無いということだった。

ここに来て、僕の僕自身に対する評価は「コミュニケーションが苦手な人間」から「コミュニケーションに興味が薄い人間」に変わった。同時に、コンプレックスもなくなった。僕の予定としては、話術を鍛えることで苦手意識を克服するつもりだったのだけど、結局問題を解決したのは「諦め」だった。

瞑想を始めた

そこから、僕の興味は「自分の欠点を埋める」ことではなく「自分はどんな人間かを知る」ことに移っていった。世の中や他者は、自分の信念や都合でいろいろな物差しを差し出してくる。小さい頃は、とにかく人の影響を受けやすい。躾けられた通りのことを正しいと思うし、誉められるようなことをやることが良いことなんだと考える。だけど、どんなに物差しを当てられようと、型にはめられようと、変えられない自分の本質というものがある。形状記憶合金のように、自分自身の芯の部分に存在しているものがあるのだ。

まずはその形を見極めることが必要だと感じた。それを知ることは、自分が何に幸福を感じて、何に興味が無いのか、ひいては自分の人生を良く生きるにはどうすればいいのかということのヒントになるはずだと思ったのだ。そこで出会ったのが瞑想であり、禅の考え方だった。

瞑想は、自分の内面を静かに見つめる大切な時間だと思う。世間に与えられた価値観をまず一度全て取り払って、自分が本当に感じていることをしっかりと受け止めるのだ。他人に与えられた価値観に従ったまま生きていると、本当はあまり嬉しくないことも、「嬉しいと思わなきゃ」と考えて、ムリヤリ嬉しがろうとしてしまう。それは、自分に嘘をついている状態だ。本当は嫌なのに、自分を騙してしまっては、何が本当の幸福なのかもわからなくなってしまう。それはとてももったいないことだ。そうならないために、瞑想は非常に役立つ。

形ははじめから内在している

一応誤解の無いように補足しておくと、僕は人間関係に意味が無いとは思っていない。人間は相互に依存する生き物だ。それは物質的な面以上に、精神面で当てはまる。こうして文章を綴って誰かに読んでもらうことで感じる満足は確かにある。僕が趣味にしている絵だって、自分一人で自画自賛しているよりも、人に見せたほうがずっと楽しい。他者の存在のありがたみは承知しているつもりだ。ただ、その感じ方が、多分人よりも薄味なだけなのだ。

向いてないものは向いてないんだと認める。できないことはできないと諦めてしまう。欠点を補うのはそこからだ。人よりもできないことがあるからといって、直ちに自分を無能と責め立ててしまうのは正しくない。まず自分の本来の形を知ることで、研鑽が始まるのではないだろうか。